年の瀬

年の瀬になると、ある風景を思い出す。

10年前、私は京都にいて、弟たちは東京にいた。両親は三重県の田舎にいたのだが、翌年の春から両親は東京に越してくる予定をしていた。両親が東京で生活する家は既に用意してあり(弟たちはそこで先に生活をしていた)、父は、そこで家族で年を越そうという提案をしてきた。

当時、私も弟たちも、ほとんど両親のいる三重県に帰ることはなかった。田舎なので移動に時間がかかるということもあるが、そもそも、私たちきょうだいにとって、家も土地も特段帰る場所ではなかったからだ。私がひとりたまに帰るくらいで、東京に出て行った弟たちは帰るそぶりすら見せなかった。

東京の新しい住まいならば集まりやすい。弟たちは既にそこにいるし、京都にいる私ですら、三重の田舎に行くよりも移動に時間がかからない。断る理由は特になく、私たち家族は久しぶりに年末に集まった。私たちが先に集合し、両親は後からやってきた。

その晩、私たちは、近くのスーパーで買ってきたお寿司屋お惣菜を食べながら、テレビのニュースを眺めていた。特別に何かをするわけでもなく、家族がひとつの部屋にいる。父はそれだけでも楽しそうで、終始にこにこしていた。新しい住まいの明るい部屋の中で。父の楽しそうな顔を見るのは何年ぶりだろうか。

私が思い出すのは、その風景だ。

その翌年から、両親と弟たちは東京で生活をし出したこともあり(私が東京に行くだけで済むので)、家族5人で年越しをすることになった。だが、それも3回で終わってしまう。

おそらく父は、もっと以前から、家族が一緒にいる時間をつくりたかったのだろう。亡くなる前のわずかな期間を、少しでも楽しく過ごせたのだろうか。

年の瀬になると、あの時の風景を思い出しながら、そんなことを考えるのである。